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2020年1月20日

文学に見るペットの昔の火葬の様相

 
文学というのは、言葉によって紡ぎだされた芸術です。
しかし、その文学作品は時代を経ることによって古典となっていき、その時代の人々のものの考え方や習慣などを垣間見ることができます。
 
ペットの葬儀や火葬に関するものも文学を読み進めていくなかで見つけ出すことができます。

現代におけるペットに対する意識の変化については、以前掲載したペットの豆知識 映像作品に見るペットへの意識の変化をご覧ください。

ここでは明治時代の文学作品に見るペットの火葬に対する考え方を説明していきます。

 
明治時代のペット事情を見ることのできる作品として夏目漱石の「吾輩は猫である」があります。
この作中に登場するネコは夏目漱石の家に居付いた、野良の黒猫をモデルにして書かれています。
 
「吾輩は猫である」の作中では、連載の都合などから飲み残しのビールを飲んで酩酊し、水がめの中に転落して亡くなっています。
 
モデルとなった夏目家に飼われていたネコは作中の中にあるような事故死ではなく、病気もしくは寿命で古いかまどの横で亡くなっています。
 
夏目家のネコの亡くなる様は、随筆「永日小品」の中の「猫の墓」という作品の中で亡くなる数日前から亡くなったあとまでの様子が描かれています。
 
漱石が早稲田に引っ越してから、ネコが少しずつ痩せていく様、少しずつ動かなくなっていく様、体調が悪くなりみすぼらしくなっていく様などが詳細に描かれています。
また、家人のネコに対しての、亡くなるまでの対応や亡くなってからの対応の変化なども現代と比較してみると非常に興味深いものでもあります。
 
亡くなったネコの亡骸は、夏目家に出入りしている車夫によって夏目家の庭に埋葬されています。ここに少し興味深い描写があります。
 
 
「妻はわざわざその死様を見に行った。それから今までの冷淡に引き更えて急に騒ぎ出した。出入の車夫を頼んで、四角な墓標を買って来て、何か書いてやって下さいと云う。自分は表に猫の墓と書いて、裏にこの下に稲妻起る宵あらんと認めた。車夫はこのまま、埋めても好いんですかと聞いている。まさか火葬にもできないじゃないかと下女が冷やかした。」
 
 
ネコが亡くなるまでは漱石に言われて人間用の薬などを与えていた漱石の妻でしたが、一向にそれを飲もうとしないということや食事をとっても戻してしまうことで、漱石とその妻は小さな口論をしていました。
 
しかし、ネコが亡くなるとそれまでとは態度が異なり、急に手厚く扱うようになったことがネコの死に対する描写のひとつです。
 
そしてもうひとつは出入りの車夫の「このまま、埋めても好いんですか」という質問と「まさか火葬にもできないじゃないか」という下女の言葉の描写があります。
 
これらの言葉から、ネコの埋葬を行うにあたって、何かしらの形で手厚く葬ってあげたいものの、その方法が確立しておらず、また火葬をすることなど考えにも及んでいないということがあります。
 
そのネコの遺体は夏目家の庭に土葬で埋葬されました。そして、そのお墓が夏目家の人間によって作られました。
そのネコの墓は、空襲で焼失してしまったため、昭和28年に再建されています。
現在、その猫の墓は東京都新宿区にあります。
 
随筆「永日小品」は今から100ほど前に書かれた作品です。
そこから判断するに今から100年前はペットに対する供養は一部行われていたものの、火葬を行うというのは全く考えられていなかったことなのでしょう。
現在ではペットの火葬は比較的行われていることです。
 
そのほとんどは民間業者によって行われていますが、一部の自治体ではペットの火葬そして収骨まで自治体で対応している地域もあるようです。

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